前回のブログにも書いたように、大志学園2年目は、高校2年生の頑張り屋さんたちが冬から春にかけて入塾してきてくれ、競争しながら頑張ってくれたので、非常に活気あふれる様相を呈していました。
もちろん、高校2年生も賑やかになってきましたが、塾の主役は高校3年生の受験生です。
ありがたいことに、春からゴールデンウィークにかけて、高校3年生の生徒たちも続々と入塾してきてくれ1年数カ月前の『大志学園』スタートの時点では、想像だにできなかった夢のような状況になりつつありました。
『大志学園』2年目に出会った生徒
1年目の大志学園の生徒たちは、少し自信のない生徒たちが多く、とにかく『できること』を増やしてあげ、自信をつけてあげることを大切に、生徒たちと向き合いました。
しかし、2年目の高校3生は、少し様子が変わっていました。
もちろん、1年目同様、自信のない生徒もたくさんいましたが、「自信を持って生きているのだろう」と思う生徒が何人か私の前に現れました。
その中でも、代表格のような思い出の生徒の話を書きます。
彼は、サッカー部に所属していて、勉強もクラブ活動も一生懸命していました。
成績もとびぬけてというわけではなかったのですが、よくできていた男子高校生でした。
彼は、3年生になると同時に、『大志学園』に入塾してきました。
一人で入って来たのではありません。友達を6~7人引き連れて入って来たのです。
その段階で、かなりのキャプテンシーをもった人物であることは想像するに難くありませんでした。
ゴールデンウィークが終わったころ、その彼にゴールデンウィーク中に行われた模擬試験の結果をもとにした面談を行いました。
その模試の結果は、できている科目はしっかりできているが、できていない科目はかなりできていないという状況でした。
きっと、1,2年生の間、限られた時間の中で、やれることはしっかりやってきたことがうかがえるものでした。
彼の志望は、国公立大学でしたが、7か月半という残り時間を考えると、合格できる国公立大学がないわけではないが、目標とする大学にはかなり厳しいと私は見ていました。
面談では、忌憚のなく上に書いた見立てを話しました。
すると彼は
「先生ならどうしますか?」
と尋ねてきました。
「就職まで考えると、レベルを落とした国公立に行くのなら、受験科目を絞り、難関私大を目指す。あくまで私なら。でも、経済的な問題もあるので、親御さんにも相談して答えを出すように。」と答えました。
すると、彼はあくる日には、「先生が言ったようにします。」と報告にきました。
その生徒に対し私は、「なんと決断の早い人なんだ。さらには決断の早い親御さんなんだ」と感心しました。
そして、その彼は絞り込んだ受験科目を一心不乱に勉強し、第一志望の大学に悠々と合格し入学しました。
彼の自信の根拠となったもの
その彼が、大学生になったとき、『大志学園』のスタッフとしてアルバイトをしてもらいたいと頼みました。
その依頼にも二つ返事で応えてくれ、4年間スタッフとして尽力してくれました。
アルバイトをし始めて、間もない頃、彼に件の進路選択について、「あの時、重大なことなのになぜあれほどにも早く結論を出せたのか?」ということを尋ねました。
彼の答えは「親に話すと、大志学園の先生がそう言うたのなら、それが正解やと思うよ。お前が、この先生についていこうと思って選んだ大志学園やねんから、最後まで信じてついて行け」と言われて、「自分も同じ意見やった」というものでした
人の自信というのはこうして築かれていくものなのだと教えられました。
自分が決めたことを、信じ、やり続けることによって、結果が出る。
そこで自信が生まれる。
さらに次の分岐点を迎えたとき、また自信を持って決断をする。
そしてまた行動を起こす、きっと結果が出るだろうという自信があるので、
途中で投げ出さない、だからまた結果が出る。
そしてさらに自信をつける。
こういう人間にとっては、失敗も成功へのプロセスである。
このスパイラルは彼から始まったものではなく、きっと親御さんから受け継いだもので、軽薄なものではないとも思いました。
さらに、教育は長い時間をかけて幾人もの手を経ながらなされていくものだとも思いました。
その彼は、大学卒業後、思う会社に就職し、辛く厳しいことも受け止めながら同じ会社で責任ある立場に就き、40歳を過ぎた今、2人の子どもの親として頑張っています。
(つづく)
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