1年目の大志学園へのニーズ
『大志学園』2年目は、生徒の数も増えてゆき、順調なスタートでした。
1学期スタートの時点で、高校3年生は、国公立大や関関同立大などの難関私大を目指す生徒が、結構な人数になっていました。
世間からの期待はヒシヒシと感じ、嬉しく思うと同時に、その期待にこたえなければならいという、プレッシャーも感じていました。
1年目の『大志学園』は、どちらかと言えば、勉強に困っている生徒たちに支持され、成立していました。
新しくできた塾『大志学園』は勉強に困っている自分たちを大事にし、なんとかしてくれるだろう。というニーズに支えられていると考えていました。
だから、1年目の高3生たちは、受験の結果が、国公立大でなくても、関関同立大でなくても、満足して受験を終えてくれました。
彼らは「わからない」ことがわかるようになり、「できない」ことができるようになり、さらには模擬試験などで、数字が上がる喜びを感じ、勉強に自信をもてるようになりました。
そして、その上で出た受験の結果だから、結果以上に自信を持てるようになった過程に意味を持ってくれたのです。
このようにほとんどの生徒が感じて、大志学園での時間を評価してくれました。
しかし、2年目のニーズは1年目のそれとは少し違っていました。
結果を求められるようになった、2年目
1年目は、入塾する際、ほとんどの生徒が、「このままでは行くところがないかもしれないので、何とかしてもらいたい。」というような感じでした。
これが、2年目になると、入塾する際に「○○大学に行きたい。」と明確に志望校を明示する生徒が、グンと増えました。
つまり、2年目にして、プロセスだけでは、世間は『大志学園』を評価してくれず、結果を求められるようになったのでした。
ただ、結果は努力の過程の後にしかついてこないので、われわれが生徒と真摯に向き合う気持ちは何ら変わらないのでしたが、目指すべき大学のレベルが上がれば上がるほど、すべき努力は、よりシビアなものになります。
受験は、ゴールのスケジュールは明確に決まっています。
入試の日程がそれです。
さらに、大学に応じて、必要とされる知識の量も決まっています。
これは、生徒から見ると、明確には見えませが、われわれから見ると概ね理解できています。
つまり、受験勉強は決められた時間の中に、決められた知識量を、マネジメントしながら、いかにはめ込むかというゲームのようなものです。
だから、レベルが上がれば上がるほど、手に入れなければならない知識量は増えます。
その手に入れた知識を組み合わせて使用するのが思考であるので、これもレベルが上がれば上がるほど、思考パターンも指数関数的増えていきます。
だから、塾や予備校は、その勉強のマネジメント力が問われると、当時の私は考えていました。
しかし、その観点から、見ると当時の私も『大志学園』もまだまだ力不足であったことは否めませんでした。
2年目の『大志学園』は、「このままでは行くところがないかもしれないので、何とかしてもらいたい。」というニーズから、「○○大学に行きたい。でも、このままいけば、ちょっと厳しいかも?だから、何とかなりませんか?」というニーズに変わっていました。
(つづく)
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