前回のブログに書いたように、『偏差値からの脱出』というキャッチコピーを掲げて、『大志学園』が始まりました。
1期生を必死に募集
4月のスタート時点に30人の生徒が『大志学園』に入塾してくれました。
スタートまでの数か月間、われわれは必死のパッチで生徒の募集活動を行いました。
私自身の心の中では、『大志学園』の生徒になってさえくれれば、満足してもらうことは可能であるだろうと自信と心意気は持っていましたが、
あくまで『大志学園』の生徒になってさえくれればという仮定の話でした。
26年間、『大志学園』を続けていている今もなお、生徒になってもらうことの難しさを感じ続けています。
今なお難しさを感じているのですから、『大志学園』スタート前のその当時は、生徒になってもらうことの難しさを感じ、誰も生徒になってくれる人がいないことを想像した際の恐ろしさに押し潰されそうな毎日を送っていました。
客観的に見ると、生まれたばかりの『大志学園』は何の信用もノウハウも無い塾と見られても当然であったでしょう。
そんな中で、その時の30人の生徒たちとその保護者の方々が、『大志学園』に自らの将来、自分の子どもの未来を預けてくれました。
ほんとうに感謝し、重い重い責任を感じました。
そして、今思い返してもやはり忘れてはならない感謝の気持ちしかありません。
『大志学園』に求められていること
『大志学園』に自らの将来、自分の子どもの未来を預けてくれまた気持ちに対して、わたしたちがしなければならないことは、
生徒ひとり1人が、今日より明日、明日より1月後、さらに1年後に『知っていること』『できることを』を増やし、自信をつけて、次のステップに進むことができるようになるために全力で導くことだ
と認識し、実践することだと決意しました。
『大志学園』の指導形態は、当時も今もレベル別に分けた少人数の一斉授業ですが、授業を聞くことによって、それまで「わからない」がわかっておらず「わからない」ということが明確になるケースが多くあります。
この状況を放置しておくと、「できる」ようにはなりません。
だから、このひとり一人個別に感じた「わからない」を徹底的につぶすようにしました。
毎日毎日、生徒たちが学校を終え、塾に来ると、授業とは別に個別に指導をしました。
わかっていなそうな個所を授業よりさらにかみ砕き説明をします。
すると、生徒の方から疑問が生じて、質問を投げかけてくるようになります。
その質問に丁寧に答えてあげると、その知識は定着しやすくなります。
これを、丁寧に続けてゆけば、「知識」が繋がってゆくので、少しずつ「できる」ようになっていきます。
「できる」ことが少しずつ増えてくると、少しずつ「楽しく」なります。
「楽しく」なると、成績に反映され、「好きに」「得意に」なります。
私たち『大志学園』に求められていることは、生徒ひとり一人が勉強を「好きに」「得意に」にして、思う将来を切り開く手伝いをすることでした。
大学受験の勉強なので、「わからない」も千差万別であるので、非常に時間のかかる場合もありました。
週末などは、日付が変わるまで指導が続くことも稀ではありませんでした。
この頃は、休むこともほとんどなく一心不乱に教え続けていました。
それ以外に生徒たちとその保護者の方々の期待に応え、さらにわれわれ自身の未来を切り開くすべはありませんでした。
とにかく必死に突き進んでいました。
起業前は、現役高校生だけを指導するつもりでしたが、「弟や妹も見てもらいたい」という嬉しいお声がけをしてもらったので、出来る範囲で中学生も指導することになりました。
4月の時点で全生徒の数は30人でのスタートでしたが、ゴールデンウィークが明けるころには、中1から高3まで合わせて50数名、そしてこの年が終わるころには80名ほどに増えていました。
ちなみに、その年の高校3年生は51名在籍してくれていました。
(つづく)
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