起業に向けて意気揚々のはずが…
前回のブログに書いたように、その年の3月いっぱいで大学を出てから勤めた会社を退社しました。
29歳になる少し前のことでした。
いよいよ、起業に向けて意気揚々スタートのはずでしたが、人生そんなに上手く運ぶものではなかったです。
会社を辞めた明くる日から、私にはしなければならないことがなくなったのです。
しなければならないことがなければ、何をしても良いのでしょうが、なかなかそうはいきませんでした。
一体何から手を付けて良いのか、わからなくなってしまったのです。
目的や目標があれば、それに向かって逆算的に優先順位をつけスタートし、集中して実行してゆけば、時の遅い速いはあれども、結果は出ます。
しかし、起業するということは、何をやっても良いのです。
ほんとうに何をやってもよい無限の状態の中で、目的や目標を決めることの難しさを、会社を辞めたあくる日から、痛感するようになりました。
思いもよらない気持ちの変化が起こり、知らなかったこと、出来ないこと、浅い考えなど、いろいろと自分のネガティブな側面が見えてきました。
ネガティブなことが見えてくれば見えてくるほど、不安な気持ちが心の奥底から表に出てきました。
そして、不安な気持ちは、精神を硬直させます。
精神の硬直は、身体の硬直に繋がり、どんどんヤル気は蝕まれてゆき、その結果、しばらくの間、私は自宅の自分の部屋に引きこもったようになってしまいました。
遅れてきたモラトリアム
思えば、子供のころから、幸いなことに、しなければならないことが目の前にあり続けた人生でした。親や周りの人、友達から期待をもって見られる恵まれた人生でした。
中学、高校時代も、生徒会長、クラブのキャプテンと何かと役割を与えられました。
大学時代もサークル活動やアルバイト、社会に出てからも与えられた役割に対する期待に応えようと、無い力を振り絞るように頑張ってきました。
しかし、会社を辞め、所属する場所がなくなった瞬間、役割というものもなくなってしまったのです。
そして、途方に暮れたのでした。
今から40年近く前、私が大学生だった頃、「大学時代はモラトリアム」と言われていました。
モラトリアムとは、直訳すると「一時停止」や「猶予期間」という意味ですが、心理学の分野では、「子供」でもなく「大人」でもない中途半端な青年期の発達課題をさします。
そして、人生において、その青年期から、次の大人になるにあたって、自分とは何かというアイデンティティを持つことが必要であるとされています。
私は、「子供」から「青年期」を超え、立派に「大人」になったつもりでいましたが、現実には自分が何なのか、自分には何ができるのか、自分は何がしたいのかが明確には定まっていなかったのです。
起業とか言って、一丁前な気持ちでいた自分が、恥ずかしく情けなく思い、改めて自分探しや自己研鑽をしなければならない状況だったのです。
まさに、遅れてきたモラトリアムが始まってしまったのです。
(つづく)
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