年が明けて、『大志学園』の2年目が始まりました。
年明けの1月はとにもかくにも高3生の受験までのラストスパートでした。
しかし、校舎の中は、ラストスパートといっても、
高校受験の中3生とは異なり、質問をする生徒でごったがえすというようなことはありませんでした。
校舎の中は、ひたすら過去問に向き合ったり、社会などの暗記事項の確認に没頭したりする生徒が多く、整然としていました。
年末から変わった点は、受験本番から逆算して、生活リズムを整えるため夜は早く床に就きたいので、学校を休んで受験勉強をしたいという生徒が多くなりました。
それに応えて、『大志学園』は朝から自習室を開け、時折出てくる質問に答えたり、最後の受験校決定の相談にのったりしながら淡々とした日々を過ごしていました。
1月末になると、すべての高3生が受験のために『大志学園』に来なくなり、われわれは吉報を待つだけの日の連続でした。
2月中旬くらいになると、概ねの受験結果が出揃うのですが、それまでの何もできない数日間、この時間が永遠に続くように感じられたのが今でも思い出されます。
前年の4月にできたばかりの『大志学園』をスタートさせたときに、集まって来てくれた生徒たちは、その時点で学校の勉強をしっかりしていたり、受験勉強を始めていたりした生徒はいませんでした。
そんな彼らが、このできたばかりの『大志学園』なら、丁寧に教えてくれるのではないか、
なんとかしてくれるのではないかと集まってきてくれました。
だからこそ、前年の4月から毎日、わたしたちは生徒たちに学習内容を「わかってもらう」ためにできる限り丁寧に説明し、できる限り反復してもらい、「できる」ようになってもらうためにできる限り付き合って来ました。
そのような状況を聞きつけた、最初に入塾してくれた生徒の友達たちも入塾してくれて、少しずつ『大志学園』が成長していきました。
どの生徒も入塾した時点では、「できる」という生徒はいませんでしたが、みんな少しずつ「できる」ようになってゆき、成績も少しずつ伸びていき、少しずつ自信をつけていってくれたと思える状態で入試に送り出せました。
生徒たち、そして教える側の私たちも、できる限り頑張った数カ月でした。
だからこそ、良い結果を出ることを心の底から待った数日間でした。
結果、全員が大学生になってもらうことができました。
国公立大を受験する生徒は一人もいませんでした、関関同立大に進学する生徒も数名しかいませんでした。
高校に○○大学、□□名合格といったような広告になるような結果ではないかもしれませんが、生徒、保護者、先生、かかわるすべての人間が一所懸命頑張ったかけがえのない結果で、まさにキャッチコピー『偏差値からの脱出』であると思えました。
(つづく)
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