前回のブログに書いたように、生徒を集めることに大奮闘した2か月間が終わり、4月になり、28人の浪人生たちへの指導がスタートしました。
生徒集めに奔走している間は、生徒が受講を申し込んでくれ、
1年分の受講料を入金してくれたと報告を受けると、ひと仕事を終えた気持ちになり、
最終ノルマであった25人の申込をクリアし、最終28人の生徒の受講が決まると、
大きな達成感を感じて、ヤレヤレと思えました。
しかし、この営業活動が終わって、我に返りました。
私は浪人生部門の実働部隊の責任者だったのです。
ほんとうの仕事の始まりはここからなのでした。
ほんとうの仕事は申し込んでもらい受講料を納めてもらうことではないのです。
目の前にいる、大学に合格できなかった28人に、1年後、全員大学生になってもらうことでした。
指導のカリキュラムには携わりませんでしたが、それ以外のことはすべて携わらなければなりませんでした。
もちろん、運営だけでなく先生としても彼らと向き合わなければなりませんでした。
「塾」として、現役高校生を指導するのとは似て非なるものでした。
浪人生にとっては、「塾」ではなく「予備校」なのでした。
予備校の運営者として、生徒の生活面も整備する
浪人生にとって、「勉強する場」であるのは当然のことなのですが、彼らが毎日朝から夕方までの間「生活する場」でもあったのです。
指導内容は、現役高校生に対してと大きな違いはありません。
むしろ、現役生よりもたくさんの時間がもらえたので、より丁寧に指導でき、学習効果もより顕著に現れました。
大変だったのは、「生活の場」の部分の整備でした。
最初の1~2週間は、生徒たちは皆、「来年こそは」という気持ちでスタートしましたが、しばらくすると、いろいろな心の変化が表れ始め、ストレスを感じ始めました。
現役高校生指導の部門では、地域のトップレベルの高校から、3つくらいの高校をメインターゲットに指導していました。
しかし、浪人生部門では現役生部門と比べて、上から下までの学力格差がはるかに大きく、嗜好も多様でした。
格差が大きく多様であればあるほど、人と人の間には軋轢が生まれます。
だから、定期的なガス抜きが必要で「生活の場」としての整備が重要になりました。
幸い、生徒28人のうち男子は24人でした。女子の4人も体を動かすのが好きな生徒たちでしたので、毎週時間を決めて、ソフトボールをする時間をつくりました。
また、ゴールデンウィークには、先生たちにも参加してもらいBBQをしたりもしました。
皆が大歓迎というわけではなく、複雑な思いで参加してくれていた生徒もいたでしょうが、なんとなく、生徒たちどうしがお互いの「人となり」が理解し合えるようになり、お互いの程よい距離感が保てるようになり、軋轢やストレスが減って、28人の生徒たちが、受験勉強を中心とした生活空間が何とか保たれるようになりました。
私自身は、ソフトボールのグランドの確保や、梅雨時期にはソフトボールの代わりにバスケットボールをしたいという女子からのリクエストを受け、体育館の予約に走り回ったり、BBQの企画や買い出しに奔走していました。
さらに、休みがちな生徒がいたので、家に迎えに行ったりもしました。
先生として授業もしていましたが、夕方からはできていない生徒に補習をしながら、付き合ったりして、充実した時間を過ごしていましたが、まぁ大変な毎日でした!!
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