就職するにあたって考えたこと。
塾業界に身を投じようとしていた頃、私は「塾とはどうあるべきなのか」「仕事はどういうものなのか」ということを考えていました。
もちろん、「会社」や「社会」が自分の考えを全面的に受け入れてくれることはあり得ないであろうということぐらいはわかっていました。
しかし、大きな企業に就職するのではなく、小規模で零細な企業に敢えて就職する意味は、自分の考えを会社に反映させることができる可能性が高いこと、
そして、「将来の起業」に向けて、あらゆる角度から勉強させてもらえて、自分の考えをさらに高めてもらえる可能性を感じていました。
だからこそ、社会に出る前に、この先塾業界で仕事をしてゆくために「自分の考え」を整理しておくべきだろうと思い考えていました。
塾とはどうあるべきなのか、仕事はどういうものなのか
考えた上での当時の結論は2つありました。
1つ目は
2つ目は
「出来ないこと」を克服し、「出来ること」に変わり、結果が出た瞬間の心地良さこそ「仕事における楽しさ」と考えました。
出来ないことでもチャレンジしていればいつかは必ず出来るようになるはずで、その姿に生徒たちは必ず何かを感じてくれるであろうとも考えました。
だから、塾業界に身を投じて、先生をする限りは、生徒のためにチャレンジし続け、仕事を楽しみ続けよう。それが延いては自分のためにもなるはずである。
そんなことを考えていると、「高校生を指導すること」や「大学受験を指導する」こともチャレンジの1つに過ぎないと思えるようになってきました。
勉強の楽しさを知った原体験
さらに、振り返ってみると、私自身が勉強の楽しさを知ったのは大学受験でした。
小中学生のときの勉強は、「なぜ?」という疑問を解決することなく、ただ何となく、「覚えたり」、「反復したり」しながら頭に入れていくという作業を繰り返すことによって「出来る」ようにしていました。
しかし、高校生になり、それなりのレベルの大学を目指した瞬間、知っておかなければならない知識の量は、小中学生の時のそれとは段違いに多くなりました。
だから、内容を一つ一つ丁寧に理解し、整理し、頭の中に入れていかなければ、入り切りません。
「理解」と「整理」は必要不可欠のものでした。
その必要不可欠な作業に対して、私は初めて「楽しさ」を見出しました。
「わかる」ということに楽しさを感じたのでしょう。
結果、「わかる」と、後は反復すれば「出来る」になるということを体現したのです。
思えば、小中学生のときは、「何?」という質問に答えてくれても、私の「なぜ?」という質問に対して、真正面に対峙して、答えてくれたり、考えてくれた大人や先生はいなかったように思います。
しかし、高校生になり、大学受験の勉強をするようになると、参考書や辞書には細かく解説が書かれてあるので、それを読んだり、調べたりすることによって、自分の力で「なぜ?」を「わかる」に変えることができ、「楽しさ」を感じるようになりました。
小中学生のときに勉強の「楽しさ」を感じた人は、小中学生に対して「楽しさ」を伝えることができるでしょう。
私が勉強に「楽しさ」を感じたのは、大学受験であったので、高校生に対しての方が「楽しさ」を伝えることができるのではとも考えました。
そんなことを考えていると、知識や技量で未熟な部分は「努力さえすれば、できるようになるはずだ!チャレンジするしかない!」と心を決め、社会に出る腹をくくりました。
(つづく)
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